niemotti’s mysterious everyday 2

ニエモッティ ズ ミステリアス エブリデ- 2

大人であることを

 

わたしは自分が大人であることを

(多分 ) わかっているから、

思っていることを全て 言葉にすることを

正しいことだとも、「素直 」だとかとも思わない

 

ときには それは タブーと言われることだったり  

愚かなことにもなると思っているから、

あまり言葉にはしないほうが良いし

 

誰かの気持ちに 刃物をかざすようなことにもなり得ることもわかる

だけど ここのスペースには そういうことを考えないで書いていることが多々あります

 

例えていえば …

30代女性に対して 幼稚園児くらいの子が

「おばさん、   」

と話しかけると、間髪いれず ママさんが 

「こらこら、"お姉ちゃん" でしょ 」という

この場合の 幼稚園児のほうの 無邪気に自然な呼び方が 否定されるような…

ちょっと違うか

… たとえ話は 相変わらず 下手くそだ…

 

( ま、置いといて…    汗汗)

 

わたしは 障害者というものになって

障害者の気持ち というのは、

わたしが感じることでもあると思う

 

小学生の頃 「差別 」に対する意識や姿勢をどう持つべきか  考える授業があった

 

でも、自分がなってみたらば

周りがどういう目で 見ようとも

自分 は 自分 と思っているもので

自分 のほうが あれこれ 考えていることが多いように思うけど

良くも悪くも

 

当たり前だけど

人生というのは 個人的なものだからなぁ

 

 

そうそう、 昨日  思ったこと

 

人工透析の中止について
テレビで 軽い議論をみる
( 要するにコメンテーターの発言 )

人工透析と わたしが服用、注入している薬物に変わりはあるのか と考えながら画面を見ていると

世の中の意見が必要だと 発言した人がいた

もう テレビでは、その人は 冗談を放ちながら 楽しそうに笑っている

高額な医療費を税金の無駄使いだと言う人もいる、という紹介をしていた
わたしは そういう考えを持つ人は 少ないとは思わない


果たして いま、世の中に この問題を問うたところで 個人的な 全く関連のない人もいるような

完治しないと言われている病気の治療について

病気の行方について

議論するような余裕があるのだろうか


そして、その問題の中心にいるはずの難病患者である厄介な自分

その議論を聞く勇気は
わたしにはない

 

 

とかなんとか

 

 

今日の 天気は 晴れるという 予報!!