niemotti’s mysterious everyday 2

ニエモッティ ズ ミステリアス エブリデ- 2

暴力的な会話について 〜一部の患者様へ あくまで独り言

人が成長することが 我慢するようになる事かな、と思う。
でも、全てのことを我慢できるか、出来ないか、考える余地もない事もある。
それは自分の存在の為に反論したり反発したりする時とか、絶対に守らなければならない何かがある時、我慢できるか、とはあまり考えない。

人が誰かを挑発する行為をわたしは場合により 汚い と思う
罠に嵌める、とか言う言い方がある。
言葉は、何の為にあるのか、どんなに大切なものか、患者さんの中には、近い将来、話せなくなるかもしれない人もいるかもしれない。
わたしは現にもう、字が打てなくなったり、言語障害にこまっている、同じ病気の患者として、こんな事しか言えないけど、今まだあるものを大切にしてほしい。
人や、つながりや、助言や、動きも、目が見える事、食べ物が呑みこめる事、今やる事は 一生懸命生きる事。

粗末にしてはいけない事がたくさんあること、
わたしは病気になって、まだまだ始まったばかり、それでもこの間の入院中に動かない体で泣き叫んだ、帰る帰る、治療はしない、退院して帰る、と、泣いて泣いて、両親を困らせた。車椅子を押す父は笑っていた。なんで笑うのよ!とすごい顔で睨みつけました。笑ったまま泣いて、涙をこぼして 「お父さんは代わってあげられないんだよね、せめて笑っていたら少しでも明るくなるかなと思うよ」と言っていた。
今まで、わたしがイライラするくらいに父が辛い時に笑っていた訳がその時にわかりました。
わたしはその言葉を聞くまで わたしの苦しみを軽視していると腹立たしく思っていたけれど、そんな思惑も、実際に誤解を解いたのが言葉でした。

あれから、自分なりに考えました。
やられたらやりかえす、と言う言い方が悪いのであって、
単なる会話にすぎない。
やり取りは変わらない。
注目すべきは内容ではないかと思います。
相手を傷つけようと故意に思えば、相手がどれだけ傷付くかを想像して言葉を選ぶでしょう。 逆上させたければそれを想像して、それは罠でもなんでもない。 単なる弱いものいじめなり、嫌がらせでしょう。
そして、その言葉への反論や、訂正はむしろ きちんと求めるべきである、
ただ、それをやりかえしてはいけないだけで、それをしないと、人間としての自分の存在が捻じ曲げられて発信されてしまう。それは人として、他人にしてはいけないことだ。と思う。
(何回かははやりかえした節があり)


今日も頑張ります。頑張りましょう。