今書こうと思う事は2回目
1回書いて公開にしたら文章が消えちゃったので
前だったら長文メールだろうが手書きの手紙だって伝えたいと思えば書き直すことなんかそれほど苦じゃなかったんだけど、今は同じ内容なら本来そういう形で伝えるのは不本意で申し訳なく、失礼と思うんだけど ・・・なんとコピペで伝えてしまう。
なのでその代わり コピペには愛を込めている・・・汗汗
書こうと思ったことは昨日辺りにふらふらといろんな方のブログを閲覧中に
狂気の感染についての記事をみつけた。
狂気の感染 すると思う、そもそも狂気は持ってるものですよね、本来、多分。
それがどうあたためられ 育ちどういう形に成長するんだろうね
その記事はショックであり、妙に興味をもってかれて、いつか思ってたことを今書いてます。
ちょっとずれるけど わたしは暴力的なシーンのある映画が評価されることが理解できない 誰もわたしの理解なんか求めてないんだけどさ
まちがえた強さは存在するって思う
だからって正しい強さなんか語りだしたら
そうだな学のないわたしならきれい事に終わると思うし、学のある方なら世界の情勢だったり経済だったりも交えてためになりそうなことをいうんだろうな、なんて。
こういうことを書くときにわたしは逃げ道を考えてるの
反論や反対意見に打ち勝つまでの信念がなくて 貫く精神力もなければ戦う気力もないから、そのくせ生意気なこと思ってたりして
そうそう、映画ね。
世の中の裏側、見なきゃいけないのなら義務になるはずでしょ
見たい人だけ見れるならわたしは見ない。痛いとこ、鮮血ゾッとする
それをみて何を思うのかはわからないけど、
そういう映像を得意とする監督のファンだ、わたしの旦那は
いつでもCS放送でドンパチやってれば夢中になってるよ
うるさいなぁって思う、でも彼にはその映画がなにか良い作用してるのかな?
例えば わたしで言うところのドーパミン的なものが出てるとかさ
でも、もともとあった自分の狂気って実は知らずに育ってるんだと思う
信じがたいけど わたしの中にも
すごくリアルで残酷な夢を見たことが何回かある、悪いけどここには書けないほど怖い夢だった そんな想像も映像も(映像化できるのかなレベル)したことない、ちらっとも考えたことない
でも、確実に今、大人になって理解できる内容の恐怖だったから、
子供の頃のいわゆる怖い夢とはちがうもの
狂気の感染、避けられるものだと思う ある程度なら 自分が防ごうと思ったら
有無を言わさず植え付け増殖させることはないと思えば
映画を、小説を超えるクレイジーなんかあるけど「所詮作り物だよ」なんていいながらみるものかな・・・。解せないでいいわ、そういう気持ちは
女性的意見と言われても「そうかもしれない」と思う
だからってやっぱり過激な暴力シーンが観たい衝動に駆られるようなことが
わからないだけ
それは性格や好みであるからいいけれど・・・とぐちぐちとまた自分は悪い癖を出す